耐雪桜花麗

そこらへんにいるオカンの日常。

ふつうのひと

今日からブログをつける。

 

私は昭和生まれの41歳、一つ年上の夫と、二人の小中学生の息子とともに、都内のどこかに在住している。仕事は日中パート生活、いわゆるどこにでもいる普通のおばちゃんだ。

 

若い時は文章を書くことが好きで、ブログをたくさん書いて、いろんな人からコメントをもらうようなこともあった。しかし年齢を重ね、仕事が忙しいとか、子育てが忙しいとか、生活に忙殺されて、何か自分の考えを発信するようなことの優先度はどんどん下がっていった。

 

20代、30代は迷いの時期、こうありたいとか、こうあるべきとかたくさん考えている時期はあった。しかし40代は不惑孔子先生はそういったけれど、迷いがなくなるなんてことはないと悟っただけだった。ただただすべてを受け入れ、生きることだけに力を注がなければこの先生きていけない、老いたからこその開き直りを感じたというだけだった。

 

気が付けば何を受け入れたか、それはただ自分は”ふつうのひと“であったという事実。

30代まではどこかで、「自分はまだ何か大きなことを成し遂げられるのではないか」「まだ自分の知らない何者かになれるんじゃないか」という淡い期待をいだいていたけれど、結局私はふつうのひと、だった。

 

結婚して、子供に恵まれ、それなりに仕事があり、それをふつう、と受け入れてしまうのはどうなのか。それはさりとて、今の私は、自分自身の手の届く場所のものを守るので精一杯、といういきものであり、その事実がとても、若い時に自分が思い描いていあたものより小さかったということに、一抹の哀しみを感じる瞬間がある。

 

私の敬愛するロックバンド、エレファントカシマシがこう歌っている。

youtu.be

10代憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り
20代悲しみを知って 目を背けたくって 町を彷徨い歩き
30代愛する人のためのこの命だってことに あぁ 気付いたな

「俺たちの明日」:エレファントカシマシ

いやこれ聞くとさ。めっちゃ元気出ちゃうんだけどね。人は年とってもいい、と思わせてくれるんですよ宮本先生は。

 

でも宮本先生、40代、50代は今ならどう歌ってくれますか?

 

脱線するけれど、私はずっとエレファントカシマシのファンで、 東京の町のどこかで宮本さんに会ったら絶対卒倒しちゃうと思うんだけど、なにか一言でも話せるなら、といつも考えている(恥ずかしいけど本当です)。今は上の質問をしたい。宮本さん、50代の今、この歌詞の続き、今ならなんて書きますか…って聞きたい。

 

私はふつうのひと。

毎朝バタバタしながら家族を送り出し、仕事中に夕飯のメニューのことを考えて、子供たちの生活を心配し、ちょっと中年になってきた旦那の健康のことを考えて、隙間で好きな俳優やアーティストのことを検索し、帰ったら子供の話を聞きながら夕飯を作り、旦那と仕事の愚痴を言い合って、ちょっと趣味のゲームをプレイして眠くなったら死んだように寝る。

それが人間のしあわせだと心では感じながら、自分の思う何者になれなかったことへの哀愁を抱えながら眠る。誰かを守ることと自己実現は並行させられないものなの?などと考えたりもしながら。

 

久しぶりのブログ。

このもやもやと、自分の好きなものを記録して、自分というものを整理して生きていこうと思う。きっと自分はふつうのひと、なんだという再認識をするだけなんだとしても、だ。