耐雪桜花麗

そこらへんにいるオカンの日常。

忙しさに潰されることに怯えた1年で変化したこと。

お題「#この1年の変化

前の記事からだいぶ月日が経ってしまいましたが、生きています。自分の仕事は物流業なので、だいぶ荒んだ記事を書いたこともありましたが、最近はようやく仕事の落ち着きを取り戻しつつあります。

 

コロナウイルスが流行しだした3月前後からそろそろ1年が経とうとしています。私は職業人として、母親として、一個人として、それぞれの立場でとても変化のある一年だったと感じています。それぞれの立場で、変化のあったことを振り返っていこうと思います。

 

①職業人として

私は物流の仕事に関わるようになって、5~6年になります。この1年が、一番しんどくて、心が荒んだりもしましたが、その一方で、この仕事が、社会の危機にあったとき、どれだけ生活を支えることができるものなのかを実感した期間でもありました。

私はこの仕事が好きでしたが、体力の衰えや金銭面などを考え、昨年の初めに転職を本気で考え、もともといた医療関係の職場に戻ろうと思っていました。しかしながら、世の中の状況は激変し、新しい仕事をするなどという雰囲気ではなくなってしまいました。

一度目の緊急事態宣言が発令され、世の中の人たちは家で過ごすことが増え、その人たちを支えるために私は外に出ました。世の中の人々は、物流や交通関係でで働く人たちは英雄、などと評価してくれましたが、決して人手の多い職業ではなかったところに、膨大な仕事が押し世せ、それが年末まで続いたので、体力と精神力は限界に近かったと思います。私の夫は、いわゆるサービス業に従事しているため、家にいて子供たちを支えてくれることが多くなり、大変に感謝している一方で、自分の仕事があってよかったと安堵したこともまた事実でした。あのまま医療関係の仕事に戻っていたら、もっと大変な現実が待っていたと思いますし、実際に前線で働いている人たちこそ、英雄と呼ばれるべきと考えています。

 

②母親として

私には中学生と小学生の息子が二人いますが、本当に彼らにとっても、忍耐の1年だったと思います。3月から4月、子供にとって最も大切な2か月が休校によって失われ、そしてこの1年も、ほとんどの行事が中止となり、大切な時間を奪われた1年になりました。

一番きつかったのは、5月から始まって、勉強の遅れを取り戻すために、かなりしんどいスケジュールを組んであったこと。2か月の休みで、体力はかなり失われていました。休校中、公園で息抜きに遊ばせたりしていたところ、近所の人から学校に通報され、かなりの長い時間家の中で過ごしていたのですから仕方のないことです。

また、今や賛否両論となってしまっている、東京オリンピックの開催ですが、もしコロナがなく、通常通り開催されていたら、子供たちにとっても貴重な経験になったと思っています。自分自身、若い時に長野オリンピックをリアルタイムで体験していますが、あの高揚感は忘れられません。子供たちと、東京に住んでいるからには、マラソンくらいは見に行きたいね、と話していたのでとても残念に思います。

息子たちは毎日検温、マスクで登校、2回目の緊急事態宣言で部活動も停止されていますが、自分たちなりに工夫して生活しているし、この経験を未来にきっと生かしてくれるだろうと期待しています。

母親として、仕事で疲れている姿を見せることが多い一年でしたが、子供たちも私のことを労わってくれるようになりました。家族として、夫も含め、自分の役割を探してこなそうとする姿勢が生まれたことは、よかったことの一つなのかなあと思うようにしています。

 

③個人として

個人として、インターネットやTwitterから離れることが増えたように思います。情報の多さのストレスを感じるようになったからです。私は東日本大震災のとき、ネットの情報に踊らされ、心の均衡を崩してしまった経験があり、あの時にちょっと状況が似ているな、と感じています。あの時は情報を集めようとして、情報に飲まれてしまったのですが、これに対処する一番の方法は「情報を遠ざけ、最小限の情報だけをみるようにすること」ということをわかっていたので、今回はあの経験をせずに済みました。

停滞は争いを生んでしまいます。どの情報が正しいかどうかわからなくなり、強い言葉や、反政府的なことばを信じたくなってしまう。不安だからこそ、強い言葉が欲しくなるのです。強い言葉は争いを生んでしまう。だから、そこから離れて、目の前の家族であるとか、本当に起こっていることを自分の目で見るように心がけています。

私は次はワクチンに期待しています。ある外国人の方が、ニュースで「コロナウイルスをこの地球上からなくすことはできない。だからワクチンを打つ」といっている映像を見て、これだ、と思いました。完全なる収束は長い年月がかかる。だからワクチンと薬が普及することが次の目標なのだと感じています。

私はこの仕事をまたしばらく続けていくしかなさそうですし、そのためにも自分のできることを、粛々と、他人に強いることなく己の判断で行っていくしかないのだ、と冷静な視点を持てているのか、毎日といかけるようになりました。

 

私は1年後には収束しているのでは、と楽観的な気持ちでいましたが、事態はあまり変わっていないように思います。でも、行動指針のようなものは自分の中でかなり固まっており、あとはそれに従って行動していくしかないのかなと思っています。

この日々に終わりがくることを願って、明日も元気に生きていこうと思っています。